12/28(Wed)
例によって日記が大分空いてしまった。今日は職場の仕事収め。過去を思い出しながら日記を記す。
12/22(Thu)
家に帰ったら嫁が給湯器が壊れたという。本当に壊れていた。不動産屋に電話して、明日にガス会社に調子を見に来てもらうとになる。とりあえず水で頭を洗うことにする。
12/23(Fri)
天皇誕生日でお休み。ガス会社の方がきて給湯器のチェック。経年劣化による温度調整が上手くいっていないことが明らかになる。シャワーは上手く行かないが、風呂の追い炊きだったらできるだろうということでチェックしてもらうが、これもダメなことが分かる。給湯器のボードがだめなのだろうということだった。修理部品を取り寄せてもらうにしても、来るのは年が明けてからになるということ。10日も家でシャワーを浴びれないなんて、どうしたらいいんだと思う。ガス会社が不動屋さんに報告して、そこから大家と相談するとのこと。一瞬、全ての仕事を放り出して、実家に年始まで帰省することを考える。
それが終わってから、子ども達を連れてプールに行く。個人的には久々だったが、子ども達はだいぶ楽しそうだった。
その後、不動産から連絡があり、おそらく在庫が見つかるので明日には直せるとのことだった。助かった。
12/24(Sat)
朝からガス会社の人がきて、給湯器の修理。無事にお湯ができだけでなく、16年振りの新タイプなので各種の機能が向上した。本日はクリスマスイブなので、それ用の買い物をして、夜はクリスマス用の夕食を取る。今年はケーキを作らず、チョコレートフォンデュにした。サンタの話になったので、google mapでサンタクロースと打ち込んで検索すると、サンタサイトが見つかり、サンタが今どこにいるのか、何個プレゼントを配っているのかなどの情報を得る。凄まじい速さで移動しながら、プレゼントを配りまくっていることを初めて知る。そんなこんなで盛り上がっていると、子ども達の布団にプレゼントが届いていた。子ども達は大喜びだったが、寝室の窓は開けっぱなしで風が吹きさらしだった。サンタはとても忙しい。
12/25(Sun)
クリスマスの日。嫁の体の調子が悪いので、子ども達を連れて出かける。ローストかフライドかを賭けて、子ども達と2対1のチキンじゃんけんをする。子ども達に負けて、昨日と同じくフライドチキンを食べることになる。
12/26(Mon)
世はまだ就業日だが、今日は息子の誕生日なので休みとった。お台場にある科学未来館にいくことにする。常磐道から首都高湾岸線に乗り換え、有明でおりて未来館前に駐車場に来る前を止める。お昼を適当に済ませて、未来館に早速入る。出し物が難しすぎる。小学低学年と幼稚園児には意味不明なものばかり。10分まって入ったシアターコーナーは、年を取って結婚した夫婦が子供を持つためにIPS細胞を使って何とかならないかと医者に相談する話だった。倫理的な問題等、子ども達には謎のことばかり。
夜遅く家について、急いでケーキを作って誕生日のお祝いをする。これを気により手のかからない子に成長してほしい。
12/27(Thu)
NIMSに赴任となった知り合いと会食する約束だったが、朝から自分の論文を投稿したり人の論文を見て書き直したり、コメントしたり、そのうち共同研究先から学生がきて研究の相談に乗ったりと、忙しさで頭がくらくらした。
飲み会は、別のグループと合同で行い、楽しい時を過ごして解散した。二次会に誘われるが、強硬的に家に帰ることにする。ふう。
12/21(Wed)
どうにもこうにも疲れが取れない一日だった。仕事の途中、コンビニでリポビタンDスーパータウリン2000mg配合を購入。よくよく思い出せば、昨日はそれなりに遅くまで仕事をしていたことを思い出した。やっぱり早く寝るに限る。
Nd:YAGレーザで連続光がでるかどうかをテスト。出ているような気もするが、スペクトルを測定してみないことには何ともいえない。しばらく中断していた別の論文を再開。さっさと論文にして、その他の仕事に集中したい。
12/20(Tue)
朝から東工大のすずかけ台キャンパスに出張。振動分光の時間分解をされているO先生を訪ねて研究室見学。同じ材料を扱っているということで意見交換。何だか面白いことが分かりそうではあるが、お互いの境遇のために直ぐには動けない様子。O先生は人柄がとても良く、素晴らしい研究者である。最近は分光屋さんが少なくなったと嘆いておられた。
お互いのこれまでの歩みを聞くと、またまた意外な接点が沢山見つかった。結局予定より二時間弱長くいたため、帰りが遅くなった。つくばからすずかけ台は遠い。帰りの途中で後輩の論文について電話で相談。やや欲があって、論点を絞れないことを伝えるが、どうやらこちらの思いと裏腹に覚悟を決めるようだ。今まで取り組んできたことが無駄になりそうだが、でも最終的にうまくいけばいいと思う。そっと心の中で後輩を応援しよう、と思いながら自分の論文準備を進めた日だった。
12/19(Mon)
今年も残すところ、今週と来週の二週間のみ。苦戦中の論文について、共同研究者と電話相談。新たに投稿先を選定して、投稿準備。そうこうしていると、他のところから論文が回って来たので内容チェック。(向こうの)博士号取得まであまり時間もないので、こっちも集中的に見直すことにする。電話で話を聞いて、イントロ改変。時間がないので途中で辞めて、前から誘われていた筑波大の忘年会に移動準備をしている途中に、某研究会から賞を頂けることになった。いい年して若者を差し置いての受賞はやや気が引けるが、対象年齢ぎりぎりだったので本心は嬉しく、素直に受諾することにする。車で筑波大方面の焼肉屋に行って、二研究室の合同忘年会に時間通り参加。新たな研究室生に囲まれて、くだらない話をしつつも楽しませてもらう。ジョッキ4杯とトレンディーに頼んでもらった焼酎のようなものを飲んで、3時間弱で閉会。二次会も誘われたが、次の日は朝から出張なのでお金を渡して帰った。
大学は教育が大変だけど、外野から見るといろんな若者に囲まれて楽しい面がある。今後もおすそ分けしてもらえるように助力したい。
12/17(Sat)
息子との約束で、現在劇場で公開中の仮面ライダー生誕45周年記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー を見に行った。JASRIのW君と違い自分は仮面ライダーにそれほど興味はないのだが、見た感想はというと、結構知らなくても胸熱な内容だった。主人公たちは正義に愚直だし、悪いやつらはとにかく悪いことを考えているし、内容の7割くらいは先頭シーンだった。いつもおしゃべりな息子が黙ってみているのが新鮮だった。たまに息子と映画を見に行くのも悪くないなと思った。その後は、併設されているバッティングセンターで球を打ちまくってきた。目が悪くなって、早い球にはついていけなかと思ったが、以外にそうでもなかった。それより、所内で行うソフトボール大会の方が遅球でとにかく打てない。今度から、たまにはバッティングセンターで体の運動をしようと思う。
12/16(Fri)
共同研究先と電話で色々。急遽、昔の試料の再実験。夜は研究グループの忘年会。中華食べ飲み放題のところをおじさん7人で挑む。序盤で頑張った自分は後半で年配の方々にバトンタッチ。いい年したおじさん達が、お腹抱えてもう食べれないというシーンはなかなかファニーだった。
12/14(Wed)
ドイツにいた頃は2、3か月に一週間ほど放射光施設に行って実験をし、それ以外はデータを解析して論文を書くという仕事をほとんど3年ほど繰り返していたが、ここに来ても同じようなことをしているに気づいた。
今日は過渡吸収の実験を朝から晩までしたのだが、ノートを見返すと前回は9月であった。もっと見返すと、一か月を開けて実験するなんてざらにあった。その間に論文でも書いていたのかというと、(実際にはそうであるのだが)それほど成果が上がっているように見えない。Googleカレンダーをさっと調べてみると、実に何ならかの発表会や放射光実験やその他の出張で大体埋まっていた。
実験は、3つのサンプルのうち1つは測定中に徐々に壊れていく厄介なものだった。同じ置換基を使っているので異性体でこれまでにレーザ耐性に違いがでるのは解せないが、いよいよもって装置の工夫をせざると得ないと思った次第だった。
予定より早く終わったので、帰りにワインを買って家で飲む。安いものなので大量に飲む気がせず、だいぶ残してしまう。熟成させて週末にでも飲もう。明後日は忘年会だ。
12/13(Tue)
朝から実験準備。久しぶりだと色々手間取る。他の測定もしながらの同時作業。
午後からは某所で会議。新しい計測手法についての話はためになった。どんどん複雑なものが出てくる。
投稿している論文のアクセプトの連絡がきた。連絡遅いと思っていたが、まさか再査読されているとは思わなかった。これによる効果は今週末の忘年会で発揮されそうで、それと引き換えにもう少し効率よく仕事しなければならなくなった。
12/12(Mon)
体調も良くなってきたので、久々に実験の準備に取り掛かる。夜は同期との忘年会。月曜からはそんなに飲まないだろうと思い食べ物だけ用意したら、あまりの量でお腹一杯になった。帰りは良いお年をと言って別れた。今年の終わりに着実に近づいている。
12/10(Sat)
喉の調子もようやく良くなってきており、これで後1、2日休めば完治だと思われる今日の日はお父さんの会で近所の飲み屋にいく。1か月以上前の約束なので、喉は完治しないのだが復帰戦だと思い行くことにする。自分を含めて4名。年齢は10歳差もあり、同学年の子どもを持つお父さんたちの飲み会である。まず、とにかく飲んだ。4人のうち自分を含めて飲める人が3人いるので、久しぶりに大量の酒を飲む。職場ではなかなかない飲みっぷりであった。同世代の子どもを持つ親として、お互いの子ども話とか仕事の話とか、自分以外は会社員なので聞いていて話が新鮮だった。復帰戦のはずが気づけば5時間も飲んでいた。今度はまたバーベキューで集まろうということになった。
12/9(Fri)
仕事復帰を果たしたと思いきや、咳が余りにも出るので午後から有休をとる。体はそれなりに大丈夫なのだが、こういう時期だから無理をしないで家で仕事することにする。
12/6(Tue)-12/8(Thu)
6日の午前にエディターにメールを送ってから、体調不良のため午後帰宅した。そして、8日まで風邪で有休をとる。扁桃腺が腫れているため、物を食べたり飲んだりすることが困難。医者に行って薬をもらう。内視鏡検査を必ずするところなので、受信料がやや高い。もらった薬を飲むとやや喉の痛みは治まってきたが、その代わり口から血の混じった粘液を出す羽目になる。そうこうしているうちに、息子が熱を出して幼稚園から迎えの連絡が来た。ついこの間、姉弟嫁の間で発熱したばかりなのに、病弱な一家だ。
とりあえず、加湿器でも買うべきか。。。
12/5(Mon)
論文の査読結果の返信作業。体調不調も相まって、作業にとても疲れを感じる。朝から晩までかかってようやく完成させた。その間、共同研究先の学生を電話で指示しながらデータ解析。別の研究先からメールやり取り。今週測定に来たいとのことで、日程調整。今週はそろそろ自分の実験もしようと思ってる。
昔見た夢の扉という番組に出ていた先生のもとにいたことがある同僚から夢の無い話を聞く。いや、金儲け自体は夢があるか。。。裏の顔を知るとともはや夢を感じない。
12/2(Fri)
先日から後輩の共著論文を見ていたのだが、少し激を入れたらすぐに返信がくる。夜中の3時に起きたので、添削原稿を見てみたら益々あかんと思ったので、本日に電話するように連絡。このせいで今日は眠い。
投稿済みの自分の論文の改定作業をしているうちに、上の話の後輩から電話が来たので直接あれこれ感想を述べる。最近話題のAIEとか、よくよく話すと伝えたがっていることが分かる。こちらの勉強にもなった。
電話が終わって、お昼まえに自分の論文の準備が終わったので、昼飯を食べた後に投稿する。問題ないと思うが、無事にアクセプトの返事が来ることを祈る。その後、学振研究会用の日本語8ページの原稿の仕上げにかかる。別機関の許可を事前にとる必要があるので、ある程度仕上げて担当者にメールする。研究会宛てには12月末までの締め切りにもう一度見直そう。
また、この間に別の論文について共同研究先と電話で相談。この論文は共著者が多すぎて話がまとまらない。時間がとにかくかかる。今日を含め、今週末で見直して、来週頭に再投稿しようという話になった。そうして、今はそれをしようかどうか考えているのだが、寝不足が相まって頭が疲れて休憩中(日記を書いている)。
文章をかいてばかりだ。もう一本書きたい論文があるのだが、どうにもこれが再開できない。この状況は今までのんびりしていたツケであろう。「楽するために働く」が自分のポリシーなのだが、現実は「働けど働けど楽にならず」だ。今月中に実験もせねばならないし、忘年会もいくつかある。さて、どうなのことやら。。。
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新米助教問う「忙しい中いつ実験するんですか?」、九大の先生曰く「土曜日するんだよ」。
う~ん。土曜か~。。。(´Д`) (二回目)
11/28(Mon)~12/1(Thu)
日記の更新に穴が開くの大抵出張に出かけているときで、今回は2016真空・表面科学合同講演会@名古屋に出張だった。以下、出来事のメモ書き
・28日にポスターを作成する。この前の分析展のものがベースとして使えて、ほとんど時間がかからなかった。分析展での発表の利点が初めて生かされた気がした…
・28日の夕方の名古屋駅のホテルに移動。駅近くの東横イン。いつものところだが、ここは他の所より一泊分がやや高い。サービスは変わらないと思いきや、部屋専用のwifi回線があるのは他と違った。おかげでネットすいすい。
・29日の朝は歩いて会場のある名古屋国際会議場に移動。この間、およそ一時間。川沿いを歩けて気分は良かったが、代わりに両足で靴擦れする。
・29日夜は、知り合いの学生と懇親会。
・30日夜は、知り合いの先生と懇親会。
・29~1日の間の聴講を聞いていて、表面科学の分野で改めて天才のような人がいるなと思った。皆がそうではないが、とりあえず天才とはまともに戦えない。こんな感想を30日夜にしていたのだが、聞いていた先生もあの人は(変わってるけど)天才だと言っていた。自分からすれば、目の前の人も相当頭が良いと思っているが、この分野、上には上の人がいるということをよくよく再認識した。
・1日の発表を聞いて、帰宅。帰宅ラッシュ時の高速バスはもう乗らないと決意する。運転手の問題かもしれないが、いい年して久しぶりに車酔いした。
11/27(Sun)
急遽思い立ち、坂東市にあるミュージアムパーク茨城県自然博物館に行くことにする。車で一時間ちょっとの距離。今年度の始めに年間パスポートを買って、2回いけば元が取れる計算なのだが、いつでもいけると思うとなかなかいかないもので、今回が2回目となった。トータル4回目の館内はいつも通りで、特に驚くことは何もない。。。お昼をセミナー室というところで初めて食べてみた。穴場らしく静かで広く、暖房も効いていてまったりするのにちょうどいい。パイプ椅子と長机がいっぱいあるので、受験生や仕事をする人たちにはちょうどいいと思ったが、仕事を忘れるために来ているのにこれはいかんと思い直した。
11/26(Sat)
昨日は早くに寝たのだが、仕事のことが気になって結局朝3時まで書き物をする。そして寝不足。体力落ちてるから寝不足が一日中響く。
今日は家族で駅まで散歩しながら、帰りに買い物して帰る。最近は、週末を楽に過ごすために、平日に仕事を一つ終わらせるようにしている。
11/25(Fri)
知り合いから、職業は論文を書くことですか、と言われた。何を言っているんだと思ったが、日記を見返すと、この最近は全然実験をしていないことに気づく。確かに、論文やら事務作業と出張ばっかりで、これでは確かに職業=論文書き、と思われても仕方がない。いかんいかん。研究者としてこれではいかん。
新米助教問う「忙しい中いつ実験するんですか?」、九大の先生曰く「土曜日するんだよ」。
う~ん。土曜か~。。。(´Д`)
11/24(Thu)
昨日の代休。朝起きたら、空から白い塊が大量に降ってくる。朝、一時間かけて急いでスタッドレスタイヤに交換する。一階に物置がないので、高所階からタイヤを上げ下げするのが実につらかった。つくばはスタッドレスタイヤを持っていない人もいるらしく、こっちは雪国生まれで雪道と氷道の怖さを知っているので、とてもじゃないけどノーマルタイヤでいられない。とにかく寒い一日だった。
11/23(Wed)
恒例の二日酔いでスタート。何とか支度をして、コーラという薬で二日酔いを直しながら、岡崎へ向けて出発。せっかく祝日に研究会とは、ついてないぜ。。。
11/22(Tue)
今週は8ページの予稿を仕上げると決め、朝から取り掛かる。途中、色々発注。8ページも書くのに論文にもならないのが損なところだが、最近の研究成果を日本語としてまとめる機会だと割り切って書くことにする。他に流用できるだろうという目論見もあるが、、、
夜は同期との懇親会。駅MOGの中華レストラン。開始から紹興酒でなかなかいいペースだった。何を話したかあんまり覚えてないが、それなりに楽しい会だった。
11/21(Mon)
今週水曜から行われる国際ワークショップに登録。もめてる論文のレフェリーコメントを書いて、共著者へ送付。学振の研究部会の予稿を書き始める。8ページも書かなければいけないから、結構なものである。夜は酒も飲まずに就寝。ふが
11/18(Fri)
お昼の後の一番手で口頭発表。朝食をホテルで食べて、お昼は抜くことにする。ホテルの朝食は東横インより種類が多かった。
午前中は特別セッションでお勉強。新潟大学のI先生のEPRの話は特に興味深かった。前半は、大学初等向けの講義の話のようで、スピンに関することが改めて勉強できた。質問をして、その後は意見交換。I先生は物腰柔らかく、研究が本当に好きな感じが伝わった。理学部出身だし、ああ研究者だなと思った。自分の発表は、発表時間15分で用意したスライドが23枚。これは相当早口にならなければいけないと思ってしゃべったが、前列の聴衆の人たちで寝ている人がちらほら。難しすぎてどれくらいわかる人がいたのか、という感想をもらった。時間も少し超過したし。。。
ところが、そのあとはそれなりのリアクションがあった。I先生とはお互いつながることがあるため、多くの質問を受けて意見交換。お互い、これまで分からなかったこと、そして今わからないことの整理がついた。コンセンサスも得られたし、とても面白い、頭が良くなって帰れる気がすると言われたのはうれしかった。ポスター発表はひっきりなしだった。今までの自分の発表は何だったんだろうと思うぐらいだ。やはり、皆が興味あること、社会で求められることをして成果を出すのが、一番関心がもたれる。東工大のO先生や京大のS先生とも話し合い、色々教えていただく。自分にはこれまでの疑問が晴れるような話もあり、目から鱗だった。学会にいって話し合うことは大事だと改めて思った。
帰りは駅までO先生と明治大のN先生と市電で行き、その後はかがやきは乗った。今回も疲れた。富山らしい美味しいものが食べれなったのは残念だ。O先生の研究室見学をお願いした。測定法について勉強したい。
11/17(Thu)
今日から富山市で有機EL討論会。結構な長文を書いたが、ネットワークの関係で消えてしまった。以下、箇条書き
・北陸新幹線の自由席に座りたければ、東京で乗れ。
・富山市民プラザ、市内路面電車、城跡、情緒ある街並み、懇親会会場とホテル、講演会会場のアクセスの良さ、富山市はなかなか良いところです。
・ホテルアルファーワンは展望風呂やマッサージ機があり、案外リラックスするのに向いている。あと安い。
・懇親会は近くのデパートのビュッフェレストラン。料理がなくならないのが素晴らしい。
・東工大のO先生と知り合う。お互い、同じ分子を使っているので意見交換。鍵となる情報が集まりつつある。
11/16(WED)
出張事後手続き。自分の論文添削。人の論文添削。特殊健康診断。朝ご飯食べてこなかったが、特殊健康診断だけでは食べでも良いと言われる。午後からは明日から学会準備。納品。発表とともにポスターもあるからどちらも準備。1月に頼まれた研究会のタイトルが自分だけその主旨に則してなかったことを知る。急いで連絡し過ぎたことを後悔。もっと要領よくならなければならない。
11/15(Tue)
結局、初日は二次会まで行って、朝になり二日酔い。本日の会場である関西センターに向かうべく、阪急梅田駅から池田駅を目指したが、自分の乗っている準急が池田の直前で箕面に向かうことを知り、石橋駅で急いで下車。研修開始まであまり時間ないところ、なんとかこうとかして、池田駅->徒歩->関西センターに到着。関西センタ―は所見にはわかりずらかった。
研修は、講義と見学とグループ討論。グループではなかなかとんがった意見が出て、まとめ役としてはやや苦戦したが、まさに将来を背負って立つような人材の集まりなんだと感じる。帰りはTさんと途中まで一緒に電車に乗り、その後は新幹線を使って帰路に着いた。1泊2日だったけど、かなり消耗した旅だった。
11/14(Mon)
今日から所の研修で京都ー大阪に出張だ。これは、本来昨年度で終わっているはずだったが、北京出張後にかかったら病によって参加できなかった分の振り替えだ。二日通していろいろあるが、とりえあず、一番危険な初日の懇親会には注意しなければならない。たけちゃんに予算をどうしたのか聞いてみたい。
11/12(Sat)
コツコツ進めていたものが二つ終わった。1つは論文の投稿。これはコツコツというか、2~3週間で書いたからコツコツとちょっと違うかもしれない。もう一つはグラディウス。最終面の弾幕がどうしても躱せず、あと一歩のところで苦汁をなめていたが、最後はバリアが切れたらコナミコマンドの連発で何とか最後までたどり着ついてラスボスを撃破。クリアーした直後のガッツポーズに家族が笑顔になる。達成感のある一日だった。
11/11(Fri)
査読のコメント作業に午前を費やす。論文の中身というよりは、投稿先の雑誌の評価ポイントが分かって方が参考になった。今日は寒い。
少し前に出張も兼ねてケーブル付きの小型のマウスを買ったのだが、手のサイズより小さすぎて毎日手が痛かった。これはだめだと思って、少し高めのマウスを仕事用に購入した。LogicoolのMX Materというタイプだが、サイズも大きて手のフィット感が良く、自分にはとても使いやすい。USBレシーバを指してみてわかったのだが、どうやらUnifylingというタイプのもので、現在使っているlogicoolのキーボードと同期してくれる。USBレシーバーを共通で使うことができるようになり、ポートが一つ空いた。これはいい。毎日、接続する手間が一つ省けた。あと、電池に充電式の内蔵リチウムポリマー電池を使っており、40日間は充電せずとも動くらしい。これまで取り返し器のものはイライラすることが多かったが、これで解決しそうだ。
世の中のものは少しずつ良くなっていく。勉強しなきゃ。
11/10(Thu)
査読結果の返信に注力する。困ったレフェリーが一人いて、大量の返信文を書く。同意できるコメントは別にして、どう見てもいちゃもんのようなものもある。相手は誰だか想像できるだけに、辟易しながら書き進めていく。そのとき、ふと、自分が査読に回って来た時の効果的な落とし方を思いついた。自分では到底する気にはならないが、ライバルを蹴落とするために実効的だと思った。
そういえば、知り合いの論文の査読結果の連絡をまだしていなかった。来週は出張が二つあるし、色々準備を進めなくてはならない。
11/9(Wed)
およそ三か月ぶりに電子分光装置にあるはずのトランスファーロッドを装着し直した。不具合で業者に預けていたのだが、お互い何ともまあ気が長かった。学生の頃とは雲泥の差で装置の立ち上げが遅い。一人で仕事すると、よほどのガッツと焦燥感がない限り、こんなものなのかもしれない。今日はトランプ大統領が決定した日だった。
11/8(Tue)
昨日、いつも出してない雑誌に出してみようと思っていたら、共著者からフィットしているか心配される。そんなこんなしていると、その雑誌から査読の依頼がくる。先日、10年来の知り合いである外国人から、今度、日本で行われる学会に参加してディスカッションしようとメールが来た。自分の研究の一部を海外で手伝ってもらったらしい。久々だな~と思ってメールを少しやり取りしたのだが、頼まれた論文の中身を見るとラストオーサーはその友人であった。。。
なるほどね、友達付き合いって大事だよねっと思わせる出来事だった。査読は朝のうちにに終わらせた。
11/7(Mon)
論文かきかき。顎が痛くてお昼を食べるのに苦労する。顎の開きを良くしようとして、大口開けて歩いたところを秘書さんに見られ笑われる。仕事しながらマッサージを繰り返す。はあ、早く治ってくれないものだろうか。。。
11/6(Sun)
子ども達にせがまれて、朝からファミコン版悪魔城ドラキュラをクリアーする。ドラキュラシリーズの一番最初のやつだ。一度Normalでやってみて歯が立たなかったので、プライドを捨ててEasyモードで制覇。変身後のドラキュラは聖水ではめ殺し。子ども達も喜んでいた。
しかし、当時のゲームのエンディングのそっけないことと言ったらありゃしない。悪魔城ドラキュラは、ドラキュラの城がずずずっと沈んでスタッフのスクロールが流れて終わった。
11/5(Sat)
なってみてわかる、顎関節症のつらさ。物をかむときに力が入らない。というか、噛むと、味とともに嫌な痛さを味わう。これは、人の心配をしている場合ではない。午後からはつくばカピオのアリーナで行われているつくば文化祭を見に行った。
11/4(Fri)
有休をとった。と言いつつも、夕方には所に行って少し仕事した。昼食後、ポテトチップスを作って子ども達のスイミング教室に持っていく。テストで挙げたやや焦げ気味の大人用と、その後うまくいった子供用のチップスとに分け、皆なその通りに食べてくれた。子どものウケは上々。お母さん方は気を使って、やや焦げのものを食べては美味しいと言って頂いた。ありがとうございました。
11/3(Thu)
文化の日で祝日。今日は、埼玉県草加市で開かれた草加ふささら祭りを見に行ってきた。
実際には当日行われるロボットプロレスを見に行くつもりだったのだが、会場近くに車で行くと、大勢の人が歩いていたので、その時になって祭りのイベントだったことに気が付いた。何とか駐車場を見つけて、徒歩で会場に向かってみるとばかでかい旗がそこらかしこらでぶんぶん振り回されている。いきなりの光景に面を食らった感があったが、会場を歩いているとだんだんわかってくる。「草加ふささら祭り、草加商工会議所まつり、モノづくりダイレクトセール、綾瀬川再生21事業、文化の広場2016、なかね和舟の会、など」が同日、場所近くで一気に行われていた。ほぼ同じ場所で異なる祭りがいくつも開かれるとは珍しい。ロックフェスティバルさらながら、3か所同時でよさこい踊りの会場があった。
肝心のロボットプロレスは、メイン会場の隅っこにブースがあり、開始30分まえに来たにも関わらずそれなりに人が集まっていた。第30回ということで、実況の人も開始前にすでに盛り上がっている。プレマッチを見つつしばらく待って、14時30分からスタート。くまごろうの試合が始まる第二試合まで見て、その後は駐車場の件もあってその場を離れる。ぶらぶらして帰った。
11/1(Tue)
論文を共著者に見てもらっている最中、他の論文のリバイス対策で共同研究先と電話。くしゃみ鼻水の音がするので、「風邪ですか?」と聞いたら「風邪です」とのことだった。寝るときの服装に問題があったらしい。自分もこの二週間体調が戻らないし、健康には気を使いたいと思う寒々とした今日この頃。
10/31(Mon)
地球が誕生してから約46億年だそうだ。wikipediaを見ると約46億年前から5億4200万年前を『先カンブリア時代』と呼んで、地球の形成からミトコンドリアやバクテリアなどの微生物などが誕生したらしい。その後は約2億5000万年前までを『古生代』とよび、今日見られるような動植物の祖先が発生した。そして、約6500万年前までを『中生代』(恐竜の時代)、その後は現代までを『新生代』と呼んでいる。
新生代の西暦1980年に生まれた自分は今日で満36歳になった。自分の歳を位置づけるために、ふと地球の歴史と比較してみたが、単に教養を得ただけだった。
ちなみに、1980年生まれの同学年の有名人を調べてみたら、ディーン・フジオカ、又吉直樹、岡田准一、大野智、壇蜜、広末涼子、妻夫木聡、竹内結子、優香、眞鍋かをり、新山千春、玉山鉄二、ATSUSHI、等々、沢山出てきた。大野君と呼ばれている大野君が同い年だとは意外だった。もはや気持ち的に君とは呼べなくなりそうだ。ちなみに、鬼束ちひろとチェ・ホンマンは一日違いの昨日が誕生日だった。おめでとうございます。
10/30(Sun)
午後、テレビをつけて番組表を見ていたら、探偵ナイトスクープがあったのでチャンネルを合わせた。鈴鹿高校の女性二人が川下りで朝登校したい、という話だった。大量のペットボトルと段ボールで作ったお手製の船で、探偵と三人で朝川下りに挑む。流れが意外にきつく、しょっぱなから探偵含めてセーラー服女子達が川でびしょぬれになり、操作経験もなさそうな二人が漕ぐ船は制御が不能で、川に頭から突っ込むし、朝から何をしているだと思うような内容だった。案の定、ずぶ濡れメットで学校についた二人は遅刻で、職員室で遅刻届を提出し、一限の授業終わりぎりぎりで教室に入っていった。
昨日に話に引き続き、学校側はだいぶ寛容だ。でも、子ども達が本気になってやりたりと思ったのだから、多少アホなことでも許される雰囲気というのは大事だと思う。全国でマネしないように周りの大人がよく注意しておけばいい。今回のことはなんせ、高校三年まで小学校から無遅刻無欠勤の子どもが、川下りで初めて遅刻(を決断)したのだから。この二人には一生に残る思い出になっただろう。
10/29(Sat)
兄がテレビに出るということなので、久しぶりに20時のフジの番組を見てみた。岡村隆史とゆずの二人がゆずの地元を周るということだったが、しばらく経っても兄は全然映らない。そうこうすると、後半でおや?と思う流れになり、最後の方にちろっと映っていた。ゆずの二人が通った学校で、教員の面白特技を紹介し、最後はゆずが小ライブをするという内容だった。生徒達は大盛り上がりだった。
学校を上げての大イベントとなっていたが、授業日数の確保に大変な気遣いをしている昨今の忙しい大学教員と違い、公立の学会は平日でもプライベートなテレビ局の番組に力を貸すなど、だいぶ市教委も寛大だ。おそらく授業が終わった後にでも協力したのだろうが、何にせよ、大人が多少寛大になって、子ども達の活力が増えるようなことは個人的に賛成だ。学校に、批判したいだけの人が文句を言ってこないことを願うばかり、と心の中で思った。
しかし、兄は本当にちろっとしか映っていなかった。。。
10/28(Fri)
申請書の精査。共同提案先とのたびたびの電話。論文かきかき。先日発注した棚が来たので、一人棚追加作業と、装置周りのクリーニング。スワッピングセルの真空が問題なく引けそうなので、しばらく実験しないこともありポンプを全て落とす。某国立大からのメール連絡。色々忙しい中、帰りは日本酒を買って飲んで寝た。純米大吟醸を買って、喉にダメージを負うこともなかった。TGIF!
10/27(Thu)
業者に来てもらって、スチール棚の固定作業をしてもらう。実験室を整理。徐々に新しい測定用のスペースが確保できつつある。しかし、もう少し整理が必要なので、棚を一段分購入することにする。完全に食欲は戻らないが、ようやく一日仕事をできるまでになる。論文かきかき。
10/26(Wed)
本日も調子悪く、朝から風邪用栄養ドリンクを飲んで気張るが、途中早退する。喉もそうだが、頭痛がひどい。久しぶりにバファリンを飲んで寝るが、起きても目を開けられないくらい頭がぼーっとする。何となくお風呂に入りたくなって、しばらく湯船につかったのちに、自分で肩を揉み始めると急速に目が覚めてくる。肩こりによる片頭痛はもう何年も続いているが、風邪と相まっていたことに気づかなかった。ようやく少し食欲がわいて、うどんを食べて肩もみを続けて、ちょっと仕事をして、就寝した。仕事をしている間に、筑波大の某先生も肩こりでダウンしてたとのメールがきた。みんな調子がわるい。ちなみに今日は久々に顎も痛かった。最近は顎も要注意だ。
10/25(Tue)
SPring-8から帰ってきてどうにも調子が悪い。喉が弱いので、ゲストハウスの喚起しっぱなしの環境にやられたのだろう。砂漠では生きられないかもしれない。今日は某会議でAIについて話を聞いてディスカッションしたのだが、前から注目していたけどやっぱり面白いと思った。大学にいた時は少しぽわーんとしていたけど、こっちに移ってからは10年、20年後に自分は現役でいられるかということを考える機会が多くなったとともに、AIが発達するにつれルーチン作業や材料探しにおける初期のサーベイはそれに任せておけばいいわけで、結局、自分がAIに知識を与えるような先端研究をしていかなければ行けないと確信した。でも、一方でマスを考えた仕事は企業とか研究所がやって、大学には10年、20年かかるような息の長い独自の研究をしてもらいたい。それが大学の最大の自由度だと思うし、結局、手を動かすのは人間にして、その脳を一番活性化するのは、面白いことなのだ、と思ってる。。。毎日面白いことがあると良い。
10/24(Mon)
一週間ぶりの職場。事務と接客仕事がいろいろ。筑波大の来所があったが、学生さんがこちらの要求に対して「できますよ!」と堂々と言ってくれるのは頼もしい。素敵なサンプルを作って頂き、某施設の信頼できる職員のもと測定頂き、そして、学生さんが「俺がやったんだんだ」という自信をもってもらいたい。個人的には、若干残念な連絡がきた。何も変わるわけではないが、良い経験や思い出となるだろう。
10/23(Sun)
つくばカピオで開催されていたつくば産業フェアに行ってきた。去年とまあだいたい同じ。死因の日本酒が美味しかった。昨日から、昔懐かしのファミコンのグラディウスをやり始めた。自分では過去のニュータイプの記憶があったが、今更初めてみると連打はともかく十字キーがうまく操れない。ボタンの大きさに対して指が大きすぎるため、指先と第一関節の当たり具合が悪く、まるで二つの意思が競合しているのかのように自ら敵や障害物に向かっていく始末。そして、ぶつかったとは第三の意思が「くそ~!」とか「ああ~!」とか雄たけびを上げるしまい。そして、そんな様子を第四者目の家族は楽しそうにみていた。
10/21(Fri)
日本では午後2時半ごろに鳥取で震度6の大きな地震があって、テレビ見ると崩れた家屋等の悲惨な景色が映っていたが、それの余波で帰りの新幹線に閉じ込められた。その少し前に、車内で後ろの老夫婦がビールを豪快にこぼして車内が臭くなっていた。昨日から調子が悪かった携帯は完全に壊れた。そして、満を持した最後の測定もいまいちだったし、3日走らせていた分子軌道計算もPCの再起動で突如おわることに、、、
なんて日だ!
10/20(Thu)
なんだか携帯の画面が映ったり映らなかったり。再起動も充電もたまにしかできず、これはいよいよか、、、と思ってたらどうやら本体プログラムのランチャーに問題あるらしく、それのせいで携帯が起動しなくなった。はあ~、夏のパソコン事件に続き、家電ものに最近ついてない。そして、試料を蒸着したけどいまいちだった~!
10/19(Wed)
実験に二日目。試料が沢山あるので淡々と測定。途中、自分のPCで分子軌道計算を走らせる。夕飯を食べた後はサッカーボールの蒸着。蒸着のキャリブレーションが出ていないわけだが、見た目だと予想より多くついてそうな予感。運動してないから全然お腹がすかない。
そういえば、施設の方と話していると、業界の人たちの話であの人はこの人はと意見交換できる。なるほどふむふむ。世界は狭いと思いつつ、自分もやや鼓舞される。
10/18(Tue)
実験初日。結果、まずまず。途中、知り合いのW君に装置を借りて急遽試料作り。8か月振りの真空蒸着。そして、SP-8で蒸着するのは5年振りくらい。ペンタセン単結晶の上にペンタセンを製膜するとどうなるのかという疑問に対して、明らかな答えがでる。久しぶりにボルテージが上がった夜だった。
10/17(Mon)
国内放射光の聖地に出張。いつものように、山篭もり前に駅前で決起集会。最終バスでゲストハウスまでいき、支度をして就寝。本当は書けないこともあったが、とにかく出張移動日だった。
10/16 (Sun)
ずっと気になっていたが、思い切ってデジカメを買った。使っている安い携帯の性能のせいかどうかわからないが、カメラ携帯にはかなり前から限界を感じていた。子どもとのイベントもまだまだ沢山あることだし、と思っての一年発起。カメラは詳しくないので、店内で試して情報を色々集めて、結局SONY製品を買ってしまった。試しに家族写真をセルフで取ってみたり、動きがある中で撮影したり、テストを繰り返した後に分かったことは、『動きがあるときに静止画でなく動画を取った方が良い』、ということだった。結局、携帯カメラとの違いを考えると、我が家の使い方ではそう大差ないように思えたが、一番良かったのはHDMIでテレビに撮った画像をすぐ映せて、あとSDカードを写真のネガ見たいな扱いにすれば家族の思い出が年代順にすぐに読み出せるということだ。でもこれも、方法によっては携帯でできることで、多少写真の扱いが楽になったということだけを認識していて、結局、カメラの使い方をよく知らない自分がそのポテンシャルをフルに生かせていないだけという気がしないでもない。カメラも使いながら、これから勉強しようと思った日曜日だった。ちなみに、明日から春8へ出張だが、故あって夜のうちに途中まで移動した。
10/13(Thu)
度重なる日々の飲み会で体の調子が悪い。胃腸の具合が悪く、食欲がわかない。しかし、昨日は二次会まで行かれた隣のMさんの方がとても調子が悪そうだった。
夕方に筑波大に行って、来週に測定する試料を受け取る。始めて一人で研究室に向かってみたが、暗くて通路が入り組んでて少し迷う。良いデータを取って、これからの展開につなげたい。
10/12(Wed)
査読結果の返信作業。夜は飲み会。
10/11(Thu)
午後から某所で会議。議論紛糾している投稿論文のことを相談。いろいろ会って、夜中に一度起きて仕事を一つ進める。サプライズの無い日であった。
10/10(Mon)
体育の日で今日はお休み。今日は息子の幼稚園関係の人に誘われて、ゆかりの森で昼からBBQ。沢山食べ、沢山飲み、子ども達と沢山遊び、そして、夜中に沢山吐いた。
10/8(Sat)
三連休初日は子どもの運動会に参加。息子が共同作業をしているのを見て成長を実感。家だとママ、ママばっかり言っているのに、、、。PTA競技であるバルーン割りに参加。両足首に風船を付けて、相手チームのバルーンを割りまくる。3分くらいの時間ちょかまか動き回るのだが、結構運動量が高くて体力ない大人は息切れをする。自軍に戻って足元を見ていたら風船が一つ割られていた。全く気付かなかった。ハアハア、お父さんは今日の役目を無事果たした。
10/7(Fri)
10/3(火)に行われたCEATEC JAPANのオープニングレセプションより、世耕経済産業大臣のお言葉
「有機ELの4K素晴らしいです。今すでに市販されている外国のものより全然素晴らしいですし、いい技術が使われている。これ早く市販するように頑張っていきたいと思います。」だそうです。
https://youtu.be/mna7nj-OFlQ
10/6(Thu)
2か月振りに真空装置を立ち上げてみた。超高真空を破らずに蒸着試料を交換可能にしたので、これでいちいち試料を変える度にプレチャンをベークせずに済むはず。ターボはいちを軽快に動いているが、時々真空が飛ぶ。これは水のせいだと理解しているが、久々に真空を引くとよくこうなる。トランスファーロッドの不具合が原因でチャンバーを開けたのだが、その2か月がたっても会社からの対応は進まない。もうちょっと、あと一か月などと言われて、これまでに代用品を2回送ってきてもらったが、どちらも不具合があって役に立たず梱包し直して床に置きっぱなしである。この前に学会であって直接お願いして、昨日は電話でお願いしても、断ることが慣れてる感じだ。なんだかこの3~4年で職人的な会社が減ってきた気がする。安すぎるときは、やはり要注意だ。
10/5(Wed)
東京理科大学野田キャンパスに出張。共同研究者のディスカッションに加えて、ポスドク時代の指導教授との再会。5年ぶりだ。セミナーを聞いて、最近のグループの研究状況を確認。その後は、知り合いの研究室を見学させてもらって、夜は皆で食事に行く。私がいたころのメンバーがどうなったのかを色々聞いて、びっくりしたりしなかったり。最近の欧州の放射光施設の話を一部聞いて参考になった。ラボのGISAX装置を導入したということで、相変わらずグループの運営は成功しているようだ。今後はこちらから招待することを伝えて、別れた。後日、私の別の共同研究先に行く予定だと聞いて、それもびっくり。世界は狭い。。。
10/4(Tue)
テニュアの中間発表。どれだけ責められるのか心配していたが、建設的な意見ばかりだった。途中、見学に来られた方の対応。夜は発表終わった同期と炭がまで打ち上げ。またまた飲み過ぎた。女性ならではの苦労話を沢山きいた。何処にいても、同じ様な嫌なことはあるものだ。
10/3(Mon)
特になし。明日の発表準備。
10/2(Sun)
9月26日にJimdoに移行してからは、そちらで日記を更新してたわけだが、本日の朝に携帯アプリで日記を更新してみようと思ったら今年分が全部消えてしまった。。。旧ページから移行して、今また記録を付けているわけだが、この一週間の記録を書き直すのが面倒なので、いつものように以下に特記として記す。
・9月26日 Jimboに移行
・9月28~29日 研究者の訪問を受ける。それぞれで、初めて会ったにも関わらずつながりを見出す。業界の人脈の狭さを実感。夜は知り合い達と焼鳥屋へ。途中参加、途中ぬけにもかかわらず、五人で瓶ビール16本。飲み過ぎやわー。
・9月30日 東大本郷のS先生を訪問。研究のことをでいろいろディスカッションして頂く。今度、実験のことで教えてもらうかもしれない。東大本郷の歴史の古さを実感。これを見ると、子どもを東大に入れたくなる。
・10月1日 朝から金魚の世話。本屋でJimboの本を3冊流し読み。あまり参考になることがなかった。認知度が高まれば、もっとマニアな説明書がでてくるかもしれない。
9/20(Tue)
二匹の性格が全然違うので見ていた飽きないのだが、今朝は2匹目が寝てばっかりいて1匹目ばかり泳ぎ回っていた。1匹目にツンツンされるたびに「ハッ!」となって起きるがすぐ寝てしまう。今朝はようやく餌をあげる日なので、1匹寝ているが仕方ないと思って餌を水槽に入れたとたん「ムクッ!」と起き上がって一瞬で餌を食べ始めたのには驚いた。バクバク食べる。もう1匹はマイペースに食べる。その後は、2匹とも元気に泳ぎ回っていた。
9/19(Mon)
金魚の餌と水槽の水替え用のポンプとバケツを買ってきた。金魚を長生きさせるには、水槽にバクテリアを増やすのがとにかく大事らしい。今はバクテリア入りの水が売っているので、それを入れればバクテリアが増えることになる。今度は繁殖させるようなものが必要だ。
9/18(Sun)
金魚を飼い始めた。始め1匹だけだったけど、なんだか寂しそうに泳いでるのでもう1匹買ってきた。今日から大切に飼う。
9/12-16(Mon)-(Wed)
応用物理学会@新潟トキメッセ。いろいろあった学会だったが、一番印象に残ったのは最近総代の仕事をされ始めた知り合いのお父さんだった。「総代ってなんですか?」から始まり、総代とはを伺い、そして一日で4件のお店をはしごして、総代の仕事を一部目の当たりにした。10年ぶりぐらいにお会いしたけど、相変わらずパワフルだったし、自分とは生きてる世界が違うと思ったが、でもまた会いたいとも思わせる不思議な家族だった。
9/7(Wed)
特異なことなし。来週の学会のポスター作り。分子軌道計算。
9/6(Tue)
会議と打ち合わせの一日だった。いろいろ考えさせられる一日だった。
9/5(Mon)
若干切羽詰まり気味なので、いつもより遅く仕事をした。このために酒が飲めなかった。帰り際に同僚は帰って飲んだくれると言っていたが、俺は帰っても仕事しなきゃと言って本当にその通りになった。無念。
今年は海外の国際学会に3件出て、国内だと展示会も含めて4件。同じテーマだったら一人でも多分問題ないんだが、まったく違ったりすると頭の切り替えがようできん。プライベートもあるし。まあ一番の問題は、自分の勉強が進まないことなのだが。。。
もっと効率よく仕事できるようにならねば。
9/4(Sun)
車で下道1時間30ぐらいのところにある茂木町のツインリンクもてぎ内にあるホンダコレクションホールに行ってきた。当日はカーレースの国際マッチがあったため駐車場はほぼ満杯であった。コレクションホールはそれなりだったが、酒を飲みながらのレース観戦は楽しそうだと思った。ちなみにツインリンクもてぎの敷地に入るだけで2000円かかった。
8/27(Sat)-9/1(Thu)
サンディエゴまではスムーズに移動し、空港に降り立ってみると知った顔が沢山。サンディエゴへの直通は成田のJALしかなく、例年この便で皆向かうので参加者が集まるとのこと。九州地方のK大のA教授、本州のK大のK教授、Y大学のP准教授とS助教、N社のF君等々。
空港についてからは、まずは$に両替する。これはこの度1,2を争うほどの失敗だった。20000円を$に替えてくれというと、17$と言ってくる。当時の日本でのレートで1$が101円程度だったので、17$は全くもって理解できない。「違う違う、これは2000円じゃなくて20000円だ」と思わず文句を言うと、「おうっ!」とか言って再計算するがまたも17$と言われる。円を$に両替するなんて山ほど経験してきただろうに、恐らくなめられていたのだろう。同じ説明を再度することでようやく正規のレートで$を試算してもらえた。でもそれでも1$115円てどんだけなんだよ。
市バスの992であらかじめ調べておいた市内のバス停に向かい、そこからは歩いて北にあるホテルに向かう。サンディエゴはホームレスが多い。横を歩くときに少し緊張するが、結局、危ないことは何もなかった。ホテルについて従業員に聞いても危ないところはにとのこと。サンディエゴは少し汚いが明るく気候も良く、人も親切だった。ホテルを高速の入り口近くにとったのは失敗だった。従業員の人は親切だったが、部屋はアパートの一室みたいなところで防音性が悪く、夜な夜な車やトラック、パトカーや消防車の音で悩まされることになる。
ついて早々歩いて30分の会場に向かうことにする。歩いて往復1時間かかった。会場は海岸沿いの綺麗な場所にあった。下調べをせずに来たため、レジストレーションに間に合わなかった。その後はセブンイレブンを見つけたので食料を買ってホテルに戻る。
翌朝会場に向かい、レジストレーションをして発表の部屋に向かう。発表は初日の午前で修了。初日の午前に終わるのは理想的だ。お昼には関西のK大の准教授のH先生と食事にいく。その後は午後のセッションを聴講。時差ボケのせいで眠くなる。
初日の夕方は、学会の参加セクションの20周年ということでバーを借りてのお祝いに参加。招待講演者だけということで役得だ。そのまま知りたいの幾人かと2次会にいって、それなりに飲んで帰る。ぐっすり寝てみるとフレッシュなものが飲みたくて仕方がない。会場に向かう途中のスタバで朝食をとって、一日聴講。夜はポスターセッション。K大の先生が自らポスター発表で熱心に説明されていたが、普段は招待講演が当然の先生なので皆驚く。その後は会場の外での立食パーティーで先生方と話し込む。
次の日も発表を聴講。某巨大研究室の先生方に大ボスの話を色々聞く。大体そうだけど、巨大研究室の運営は大ボスだけでなく、部下もしこたま大変だ。夕方は夕食を買って帰り、少し仕事をして就寝。サンディエゴ最後の日は、歩いて空港まで向かうことにする。観光をほぼしていなかったので、歩いて海岸沿いまでいき、そこから空港までゆっくり向かう。小一時間ぐらいなので曇り空にはちょうどいい運動になった。途中、空港内で目指すターミナルについて複数の人に道を聞いたが、皆親切に教えてくれる。別れ際に笑顔でnice dayと言ってくれたり、道を歩いている時にお互いキャリーケースがあるのにどいてくれたりしているのを見ると、アメリカ人は基本親切だと思える。こういう雰囲気は日本にも有って欲しいと思う。チェックインしてボディーコントロールを過ぎてからはお土産を買い、バーでビールを少し飲んで、その後は知り合いの先生と大学運営について色々話を伺って、こうして飛行機の中で日記を書いている。今回も、良き出会いが沢山あった。
8/27(Sat)
今日、明日とつくば祭りだが、今日からまたフライトだ。次はサンディエゴだ。
8/26(Fri)
帰国の日だ。飛行機は時間通りに飛んだ。グループリーダーと一緒に高速バスにのってつくばに戻る。初日からいろいろあったし、近くの移動なのに今回はだいぶ疲れた。
8/25(Thu)
朝も宇部高専の関係の方々と一緒にホテルで食事。その後は、発表を聞くまでプチ観光。お昼は韓国料理を堪能。I先生のお子さんの才能を聞いてただただ驚いた。将来はオリンピックで金メダルをとるかもしれない。お腹いっぱい。夕方前に自分のポスター発表。二光子光電子収量分光法のネタであったが、外人を含めて比較的多くの人から質問をうけた。変わったことをしているとやっぱり目につくのだろうと実感。個人的な収穫はそれほどなかったものの、研究のアピールにはそれなりになったと思う。その後はグループの皆で新世界のレストランで焼肉や焼酎などの韓国料理をまたまた堪能。食べ過ぎて太ると思った。
8/24(Wed)
昨日のポスターセッションで質問をした宇部高専の学生さんH君にホテルで声をかけられることが朝のスタート。ホテルの朝ごはんを一緒に食べていたら、他の発表者の学生さんU君と宇部高専のI先生と合流する。I先生は自分より少し年上だ。研究の話はもとより、高専の運営の話を色々伺う。高専の知り合いは普段会わない先生が一人いるぐらいで、こうして色々話を聞くのは初めてだ。普段の授業だけでなく、クラブ活動に研究教育、学校運営など、大学の先生より忙しいのではなかろうかという感想をもった。その中でも、生徒とともにガッツあふれる研究活動をされていることを聞いて、高専の研究活動を応援したくなった。
その後は会場に行き、いくつか聴講。お昼はNさんとNIMSのTさんと一緒。休み時間になって、釜山のプチ観光。海雲台(ヘウンデ)にある釜山アウアリウムを一人で訪問。韓国は食事と交通費が日本と比べてかなり安いが、この水族館は大人26000ウォンと高めであった。しかし、高いだけある施設だった。これまで日本はもとよりアメリカ、トルコなどの水族館を複数個所いったが、韓国のこの水族館は自分の中でベストに数えるくらいの良さがあった。例えば、水槽が大きいために魚のおそぐスピードが速い。これまで日本でも見たことない速さで、水槽全体でドーピングしているのではないかと疑ったぐらいだ。きっと、日本の場合は水槽が小さいので魚もゆっくり動かざるをえないのだろう。その後は水族館の周りをブラブラして会場にリターン。夜はバンケットに参加。比較的高いお金を払ったわけだが、目的の韓国舞踊はきれいで払ったかいがあった。チマチョゴリという韓国の伝統的な女性用衣服の良さは踊りによく現れると思った。食事はオージービーフにチリワインと、およそ韓国文化と関係ないもので、少しがっかりだった。その後はホテルに帰っておしまい。昨夜訪れたレストランを横切ったらおばちゃんと目が合って笑顔で挨拶された。気がいい。
8/23(Tue)
今日はカプセルホテル@成田空港からスタート。フライト@8時に対して、カウンターオープンが七時からのため、予想通りに昨日の遅延組がいっせいにカウンターやゲートに押し寄せる。(「一時間じゃ皆これないだろう・・・」)と思っていたら、案の定、遅れる人続出で飛行機が少し遅延した。
釜山には二時間半程度で到着。機内では映画をみる余裕もないと思い、雨トークの、はっきりと覚えてないが、家族にくせがある芸人の回というのを見た。面白かった。爆笑は避けられないので声だけ押し殺しつつ話を聞いていく。
釜山は、思い出せばちょうど五年ぶりの二度目であり、その時には慶州に韓国版新幹線KTXを使っていった。今回は釜山が舞台なので、まずは空港から街中sasang駅、そこから地下鉄でホテルのあるseomyeon駅にいく。各1300ウォンとおよそ100円くらい。そこからはホテルまで五分強歩く予定なのだが、いつも印刷してくるGoogleの航空写真図はいつも通りあまり役に立たない。2Dと3Dの違いは大きい。なんとかホテルについてチェックインしようとするが、時間帯が合わずに荷物を預けて会場に向かうとする。先ほど降りた路線の先にあるので、駅に戻りチケットを買おうとする。大きなお札しかなったため、両替機を探すが同様に迷っていたドイツ人旅行者2人の陰に隠れて見つけるのに苦労する。
釜山のコンベンションセンターBEXCOにつくと、会場は大きくてとてもモダンなところであった。どうやら聴きたかったセッションは昨日に終わっていた。それでも気になる発表をいくつか聴いて、その後はポスター会場へ。夕方18時で終了。国際学会にしては珍しく、あっさいだ。そこから観光にでも行けと言うことだろうか。少し体調が悪いので、ホテルまで戻ることにする。せっかく釜山に来たのだから美味しいものが食べたいと思って本で調べてみるが、今は胃腸に悪そうな辛系のものが多いので、仕方なくホテル近くのセブンによるが食べたいものがない。ホテルに行きチェックインした時に、隣に見た目少し危なそう人達が日本語でホテルの受付と話をしている。どうやらタクシーでロッテホテルのカジノにいくようだ。実は、これは自分も行きたいと思ってた。14階の部屋から眺める釜山は都内のようで都会であった。
少し休んだら元気になったので、近くの家族経営の韓国料理の食堂にいく。地元の人達がいくようなところだ。店員のおばちゃんの愛想は良かったのだが、いかんせんメニューがよく分からない。もっとよく分からないのは、一部に日本語の説明があるのだが『獣肉白斑』とある。9000ウォンだが、これがこの店で一番高いメニューのようなので、これは何か?写真はあるか?と質問すると、まさに客に配膳するものを見せてくれて、良さそうなのでそれを頼む。焼肉でなく、茹でたものなのか白肉である。韓国料理で定番の小鉢とともに食した。結構いけると思った。有りか無しかで言えば、断然ありだが、内臓の腸詰みたいなものだけは一口食べて残した。ビール瓶も一本頼んで、しめて13000ウォン。生にんにく、生たまねじ、青唐辛子、キムチと食べたが、流石に後半は口の中が辛くなった。「こんな沢山の辛いものをこっちの人は全部食べてるのか?」と、地球の歩き方の最後の方にある韓国の近代史を見て同情しながらもそんなことを考えていたが、しばらくして隣にきた韓国人の若者も青唐辛子をかじって明らかに辛がっていた。やっぱり辛いものは辛いのだ。そんなことがあった一日で、これを書いている今はたまたまテレビに映った韓国語吹き替えのケロロ軍曹を見ている。なつかしい。
8/22(Mon)
カプセルホテルナウ。こうして日記を書き始めているのだが、今は夜10時前の成田空港に近年新設されたninehoursというカプセルホテルにいる。つまり、カプセルの中でこうして日記を書いている。
今朝は5時くらいに起きて、格安スマフォでありがちな月末の超スローネットに辛抱しながらJALのHPで運行状況の確認をした。予定とくに変更なし。NHKを付けてみると、すでに伊豆大島とか、静岡県や東京都の一部は風と雨のニュースで持ち切りだ。国内線、とくに羽田空港からの便の多くは欠航になっていた。「いや~、成田の国際線はどうなんだろ・・・?」とか思いながら、前夜は寝つきが悪くてうつらうつらしながらテレビとか外をしばらくぼけーっと見て過ごす。朝は、パンを焼いたのと、昨夜に作って残しておいた野菜炒めを食べた。野菜炒めは久々にひどいのを作ったと思った。11時50分のバスを予約したのだが、つくばも外が大分ひどいことになってきてたので、夕方の釜山行きの一つ前の便に変えられないかどうかと、早々に成田空港に行くことにする。関東鉄道に電話をして予約より電話で早いバスに変更できるか聞いたがOKだった。成田空港行はつくばセンターから出発するのだが、外の雨風が大分強いので、久々にタクシーを呼んでセンターに向かう。久々にというか、家にタクシーを呼んで一人で乗ったは初めてかもしれない。外にはやはり車が少なかったので、早々についてタクシーの降り際に運ちゃんと話をする。飛行機に乗ると言うと驚いていたが、国際線は大丈夫!と行って別れる。アーケードを歩くが横殴りの雨が強いので多少濡れる。その途中職場の知り合いにあう。これから釜山ですというと飛ぶの?と返されたが、大丈夫です!と言って別れる。
結果、大丈夫じゃなかった。そうしてこうして空港のカプセルホテルで日記を書いている。その途中では、高速バスに乗ったら木の一部が風のせいで倒れてて道をふさいだり、空港に着いたらあんまり待っている人いないなと思って椅子に座って浅見光彦を読んだりうとうとしてたらカウンター周りは人だらけになっていたり、ボストン、シドニー、バンクーバー、と便が飛ぶのだから近くの釜山は安心だ、台湾の高尾行きは明日の朝に振替になって大変だなぁ、と思ってたらまさか自分の便も同じ目に合ったり、いきなり予定が変更になって放り出され、空港で野宿もやや覚悟した中で、もう一杯だと思いますとカウンター内の女性に言われたカプセルホテルが意外に空いてたと思ったら、ロッカー、トイレ、シャワールーム、寝室が全て横並びでなんだか刑務所のようだと思ったら手渡された寝間着も囚人服のようだったホテルにいるなど、色々あった。ホテルにチェックイン後はB1にある京急・JR鉄道の前にあるコンビニで酒と夕飯を買ったのだが、鉄道は線路に障害物があって運行休止となっていた。宿も取れずに家に帰れない人達が大勢いることだろう。その人達と比べたら自分大分ましなんだろうと思った。運は基本的に悪いが、その中でもプチラッキーがある一日だった。ちなみに、早い便に変えようと思って成田空港に早くに来たのだが、ついた瞬間、結局その便は欠航だった。
8/21(Sun)
家族がいないので好きなことをする。まずは電子レンジの掃除だ。ごくまれに赤外線でこびりついた炭化物をとっていたのだが、朝は仮面ライダーとプリキュアを見ながら、というかテレビから流れる音を聞きながらごしごしこすって綺麗にする。なかなかとれない。薄めたお酢や重曹をレンジでチンして内部を蒸気でふやかすと取れやすいとのことだったが、面倒なので酢をそのままかけてごしごしするが、たいして効果が無い。結局、食器用ナイフを斜めにして内部を傷つけないように絶妙な力加減で削り落とすのが一番効く。部屋を整理すべく、近所のホームセンターにあれやこれを買いにく。3段のカラーボックスを購入。学生時代から散々お世話になっており、さすがにその時のものは全てないが、日本に帰ってきてから増設に増設を重ねて部屋の壁は軽く書庫になっている。さて、組み立て式の箱入りなのだが、そのまま持ってかえるとゴミになるし、暑い中汗だくでネジを締めるのも嫌なので、ホームセンターの組み立てコーナーを利用して作って帰ることにする。たたみ3畳くらいの狭いスペースにいくと、すでに先約が2人ほどいて、何の大作を作っているのだか知らないわずかに用意されている工作スペースがほぼ独占されていた。我が物顔は許さんと思い、すいませ~んと言いながら、隅っこ、にあった椅子の上のスペースを確保する。。。二人でプラモデルを組み立てるように話したり、工作担当の店員に気軽に話しかけて何やら楽しそうに作っている。昨今DIYが世のお父さん達の間でブームだそうだが、職人だったら黙ってもくもくと作りやがれ、と職人でも何でもないのに心の中でやや思う。仕方ないので、その隅っこの椅子の上で購入した本棚のパーツを並べて、手際よく組み立てを始める。学生の頃から引っ越しするたびに散々買って作っていたので、本棚製作に関して達人の域に達しており、マニュアルはもとより目を瞑っていても工作できる。電ドリもあるので5分もしないうちに仕上げて、その中に買った他のものを入れて車に戻る。その後は某スーパーで昼に食べる予定のそうめんに合わせるテンプラを物色。さんまのテンプラなるものを初めて見たので、試しに買うことにする。このス―パーは日曜午前が10%オフになるので毎回混む。さんまのテンプラしかない自分も、ここぞとばかりに大量の食べ物を買おうとする列に大人しく並ぶ。周りが云千円と支払う中で、一人126円を払う自分が周りにどう思われるのかと一瞬頭に思ったが、普通の人はたいして他人を気にしないものである。。。さて、家についてさんまのてんぷらをレンジで温めて天つゆつけて食べてみたが、これはこれで美味しいと思った。あじとあんまりかわらない。午後からは家のことを『分子軌道計算』とともに進める。PCに関しては、先日の日記にあるように痛い目合ったばかりだが、性懲りもなくファンをガンガン回すような使い方をする。逆に、あの奇跡的な復活劇を見て、「意外にタフなのでは。。。?」と変に思ったりする。ちなみにSTO-3Gから6-31Gへの最適化を各分子で進めるが、途中で前者の計算が意味ないことを実感する。嫁が区の図書館から借りてきた内田康夫の浅見光彦シリーズを読んでは寝て読んでは寝て、途中起きてまた計算をかけて、としているとあっという間に夕方になる。ここに来て、相変わらず今日もレイジーに過ごしていた思い、忘れ物を取りに行くついでに職場までランニングにいく。北海道では台風11号のせいでえらいことになっていたが、つくばもその前に大雨が降っていたので外はムシムシしている。汗だくだくのまま、ちょっと寄り道しながら職場に来てみると誰もおらず、忘れ物をとるために机を開けたら、その肝心の忘れ物の一つがないことに気付く。家も探したのだが、どこにいったのだろう。仕方がないので、一つを手にもって家までまた走って帰る。夜は、昨日と同じくお茶漬けにして、スーパーで買ったマグロのかまをオーブンで焼いて、悪くなりそうな野菜を適当に炒めてビールとともに食べる。かまについた血合いが焼いても臭いがするので、途中酒をぶっかけて再度焼いてみるがやはりだめだった。何度目かの挑戦だが、やはりマグロかまの血合いはだめだ。明日は台風9号が関東に直撃するとの予報をNHKで盛んに放送しているのだが、明日からの出張と時間帯がもろ被りしている。いざとなれば他のより安全な便に変えられるかも、と淡い期待を込めて早い時間帯の成田空港行の高速バスチケットを用意しておく。さて、明日は無事釜山につけるだろうか。
8/20(Sat)
悪夢のような一日だった。午前に家族を実家に返して、自宅PCで分子の最適化を行っている途中に仕事場についたら、PCの電源が入らず、緑に点滅しっぱなしとなった。スマフォで調べたところ、基板に問題がある可能性があり、vaioちゃんをまた開けてみるとはたしてひどいことになっていた。。。バックアップは数か月前にとっていたが、来週末の招待講演のプレゼン資料が消えた可能性があったためさあ大変。とにかく、今世間を騒がしている某PCショップのパソコン相談に駆け込む。番号をもらって、しばらくぼけーっと待っていると、30分くらいしてようやく係りの人が来る。いかにまずい状態かと言うことを去年の筑波大病院事件以来に伝えて、早速PCを開ける。もはやvaioを開けるのは自分の方が手馴れているので、自分であける。その間に、データバックアップに2週間程度かかることとか、結構な料金をとられることとかを聞いていたのだが、もっと問題なのは使っているSDDにあった。担当の人が裏方に戻って調べたところ、どうやら汎用的なSSDでないらしく、データバックアップ用の接続機器もないとのことだった。「無理ですね~」と待った時間と比較して結構あっさりと見放される。
ちょっとあっさり過ぎないだろうか、もっと何か知恵を絞れないものだろうかと一瞬思ったが、今の時代はまあこんなものなのかもしれない、と諦めて納得。しかし、データのバックアップもできず、PCを精査するまでもなくギブアップされては全く無駄になる、と思い、店員さんにもし自分のような立場になったらどうするのかを尋ねてみた。当たり前と言えば当たり前なのだが、自分としては結構参考になることを教えてもらった。どちらにしろ手の施しようがなく、途方にくれながら家に戻ってバックアップがどこまであるのか調べることにする。全く使っていないお古のノートPCを取り出してきて、バックアップを見てみるとやはり肝心のここ最近のデータがない。「まじか~。俺のこの4か月は無駄になったのか~」と思い、失った編集データの再構築を半ば覚悟していたところ、かばんに入れっぱなしにしていたvaio君からファンの回る音がする。実はうっすら期待していたのだが、画面はバグっていて動かないのだが、PCの電源が取り敢えず入っていることに気付く。そうは言ってもまたすぐに元のだめな状態に戻るわけだが、見ていると一瞬電源が入りような挙動を示す。医者に見放されたPCが自然治癒力でもって復活しようとしているのだ。実験でもそうだが、これはいけそうと思えばしめたもの、ここからある家電製品を取り出してPCに刺激を与えながら辛抱強く待って、裏蓋を開けながらちょっと傾けたりしたところ電源が完全に入るようになる。その時はもう二度とないチャンスだと思って、片手でPCを傾け続けたまま、裏蓋が無くへにょへにょになったところをUSBを指して、反応が鈍いタッチパッドで最も重要なファイルからバックアップを始める。ある程度重要なものは拾ってからは、PCを手から離して本格的なバックアップ作業に移る。3時間ほどかかるということだったので、少しダラダラして、もう夕方になろうかというところで夕飯の一部を買出しにいく。アパートの一階に降りると、駐車場に主婦達が井戸端会議をしている。近くのスーパーに買い物にいって帰ってきたところまだ話をしている。「・・・今日は何もしてないじゃないか!」と思い、夕飯の時間だったがジョギングに行くことにする。午前の激しい雨のせいで蒸し暑い中、いつもの道を汗だくで走った。とにかくパッとしない一日だった。唯一良かったことと言えば、筑波大の共同研究者の論文がアクセプトされそうという連絡が来たこと。一つの仕事がまとまって良かった。
8/16(Tue)-8/19(Fri)
大分日が空いてしまったので、まとめて書いてしまう。
1. 多くの時間を分子軌道計算に費やす。励起状態の計算を分子研のスパコンで行っているのだが、お盆明けで急激にjobが増えてなかなか自分のが入らない。辛抱する。 2. 某研究所に出張。古い知り合いに会う。マンボウの唐揚げを初めて食べた。実がしっかりして、臭みもなくて美味しい。DC2からPDになっても給料が据え置きというのは国の施策として大問題があるのではなかろうかとふと思った。
3. LEIPESの測定を見たが、これは自分で改良したらもっと感度が各段に挙げられそうな気がした。
8/15(Mon)
この休みの唯一の自分へのお土産である草津温泉にて購入したひもかわうどんを夕食に食べた。購入したものは幅4cmくらいのものだが、ネットで見ると雑巾みたいに幅広なものもあるとのこと。嫁の味付けが良かったので美味しく食べれた。今度はもっと幅広なものを食べてみたい。
8/14(Sun)
夜中に散々おう吐したので、寝不足と相まって調子が悪い。すぐに変える気分にならなかったので、小千谷のサンプラザで観光と買い物。小千谷は小千谷縮や小千谷紬、花火に錦鯉など、名産が多い。子どもの時には何とも思わなかったもの、歳をとるにつれて地元に名産があるというのは少し誇らしい気分になる。しかし、うちの子ども達はやはり何も思ってなさそうだった。小千谷縮は麻を編んだ生地で作るので独特で珍しいが、いかんせん高い。何でも高い。取り敢えず、お土産を買って、家でお昼を食べて、つくばへドライブ。着いたのが夕方6時頃。帰ってお稲荷さんを作って食べておしまい。疲れたけど楽しい一週間だった。
8/13(Sat)
午前中で兄夫婦の家族が帰る。その後は寺泊の水族館に観光。隣の温泉施設でお昼を食べたのだが、海鮮ラーメンの海苔が異常な量で辟易した。その後は子どもを両親に預けて、夫婦で長岡にてウィンドショッピング。子どもたちは祖父母からおもちゃを買ってもらう。姉は3000円のシールキットで、弟は300円くらいの虫かごを買ってもらった。喜びはお金の額じゃないのだ。夜は前日のアルパカ村で買ったゴーヤを使ったチャンプルと餃子を作った。夜はビールを少々と日本酒少々で二日酔い。やはりビールは体に合わない。
8/12(Fri)
朝食後は、家族で恒例となりつつある山古志村のアルパカ牧場へ。姪っ子一人を連れて行く。一年に一回だと記憶ができず、アルパカが育ったのかどうかが判断つかない。100円のガチャガチャで餌を買って、アルパカに食べてもらう。姪っ子とうちの娘は怖がってアルパカに近寄らない。その後は家に戻って、隣町の親戚周り。親戚の家のいとこの子どもの礼儀が正しかった。その後は、長岡市内を車でブラブラ。帰って食事をして、体がなまっているのでジョギングにでる。靴を持ってこようかと思いつつ忘れてしまっていたので、母親の24だか24.5の靴を借りて一人走りにいく。ばんそうこうを張って懐かしの道を走っていたのだが、そのうち予想通り靴擦れを仕出しので、次の日のことも考えて裸足で走ることにする。裸足で走るのは小学校以来ではないかと思うが、これは少し勉強になった。まず裸足で走り始めてすぐに気づいたことは、足首に大分負荷がかかる。靴を履いていると全然気にならないが、これは靴底のクッション性のおかげなのだろう。歩道には細かい石があるので、それを含むとちくちくして少し痛い。そう思って、普段人があまりあるかないバイパス沿いの歩道を途中で走ることにする。人も自転車も通らないからアスファルトも痛んでおらず、きっと裸足で走りやすいと思っていたのだが、これが全くの検討違いだった。アスファルトは確かにきれいなのだが、とにかく小石が多くて走ると痛い。バイパス沿いなので車が小石を沢山はねる。そして、人が通らないので、はねた小石は道路にたまっていくのだろう。普段、人がよく歩くところはそれ自体が道路を掃除する役割があるに違いない。一人、靴を持った青年が、歩道を走り、「いたい!いたい!」と独り言を言っている。。。とにかく、家についてこの話をしたところ、家族からの反応はいまいちだった。「無理するな」で終わった。
8/10(Wed)-11(Thu)
(間違って削除してしまった。面倒なのでカット。以下は草津へ向かう途中の白根山の渋峠に行く話。)
のガスによって変色した山肌を眺めながら雲の中に突入。子どもたちに記憶と体験をと思うが、車で長旅のせいかいまいち機嫌が悪く関心がない模様。雲が崖下から上がってくるので、ビニール袋で捕まろと言って取り敢えず遊ばせる。その後はやや下山して目的地の宿に向かってチェックイン。陽のあたる場所、という名前の夫婦が経営しているペンションへ到着。看板がなく、やや奥まった小道を抜けてようやく宿に辿り着く。奥さんが出迎えてくれて、鍵をもらって和室6畳の部屋へ。夕飯までまだ時間が有ったので、取り敢えず草津温泉の湯畑へ。近くの公営駐車場へ車を停めて、歩いて湯畑へ向かう。ここはテレビでもおなじみの場所で、およそ10年前にも着たことがあった。今回は子ども達に刺激を与えるべく、これまたテレビでおなじみの湯もみを見学する。大人500円、小学生300円。どんなものかと2階で待っていたが、大分商業的に感じた。途中で出ることにする。湯畑をぐるっと回って、そろそろ夕飯の時間なので帰ることにする。駐車場へ向かい、車に乗り込んだところで、駐車券がないことに気付く。なんど調べてもない。落としたもよう。仕方なくチケット紛失ボタンを精算機で押したところ2000円(一日駐車)を要求される。1500円もの無駄な出費だ。宿に戻ると、他の客の車が駐車している。この宿は料理と2種類の家族温泉風呂が入れて1万円以下と評判が良かったので選んだわけだが、全ての客がチェックインした後に帰ってきたので既にお風呂は入浴中になっている。これは競争だと思ったので、お風呂場の前で出待ちする。しばらくして中に入れると、家族四年が十分入れる大きさのお風呂場だと分かる。お風呂は草津の湯なのだろうが、少し熱めで気持ちが良い。とても塩辛いのが特徴的だった。久々に足を延ばせてゆっくり入れる温泉は格別の心地よさだった。湯治という言葉が自然と頭に浮かぶ。お風呂からあがって、すぐに夕食へ。我々の他には6家族くらいが食堂に集まってすでに食べ始めている。本格的なフランチのフルコース、とまではいかないが、前菜からスープ、魚、肉料理、デザートと、全体的にはボリュームがあり、味も良く満足な夕食だった。子どもも不思議とよく食べた。その後は部屋で帰ってリオオリンピックの結果をテレビで見ながら待ったりする。子どもは、他の家族の子ども達と仲良く遊んでドタバタしている。まるで親戚遊びのようだ。いい加減テレビを消して就寝する。ちなみにこの時から、最近準備している分子軌道計算を走らせることになる。パソコンのファンが回りっぱなしで正直少しうるさい。朝起きて結果を見てみると、初期に設定していた分子構造が間違っていることに気付く。。。朝食も食べ放題にクロワッサンとクルミパンの他、バランスのとれた品目でお腹いっぱいになる。食事は間違いなくおいしい。その後は子たちを遊ばせて、一人外を散歩し、適当な時間でチェックアウトをして新潟市へ向かう。来た道を戻って、月夜野から高速にのる。天気がよく景色が綺麗。お昼過ぎに親戚の家に行って、この1年、変わりがないか色々話をする。墓参りが大きな目的だが、外はまだ暑く、少し時間もあって暇なので近くの日本海に歩いていく。ここで、人生初めての日傘をさしてみる。前々から興味があったのだが、これは効果てきめん。日差しが強い中でも平気で歩ける。「なぜ日傘はほとんど女性しかささないのか。男性用もあったら絶対売れる」と思った。歩きながらそのデザインを考えていたのだが、美的感覚がなく残念ながら何も思い浮かばない。。。久々の日本海にはびっくりした。まず、天気の良さもあっただろうが、佐渡が異常に綺麗に見える。自分の記憶の中でも最も綺麗に見えた。海も綺麗。子どもの頃から来ているが、太平洋と違って水は灰色で底がほとんど見えないというのが自分のイメージだが、水は澄んでいて、波打ち際まで魚やカニなどが歩いていた。この10年で日本海は変わったのか?たまたまかもしれないが。。とりあえず、子ども大はしゃぎで楽しそうだった。少し遊んで、その後は親戚の所に戻って墓参り。海岸沿いの墓地なので、いつもの通り風が強くてろうそくの火が何度付けても消えてしまう。墓周りを綺麗にしたのだが、墓の各所隙間から生えた雑草が根をしっかり張っていて抜けなかった。周りをみると、他のお墓も結構雑草に侵食されている。墓はこまめに手入れしないと荒れると思った。その後は同市内の他の親戚のところに挨拶にいく。こちらは自分が学生の頃に散々お世話になったので、家に入って大分リラックスさせてもらう。猫をいっぱい飼っているので、子どもたちにはねこおばちゃんと紹介する。夕方に遅くなりそうなので、話をしてから昔通ったラーメン屋で久方ぶりの家族でラーメンを食べ、国道116号を使って実家のある小千谷へ向かった。116号は道が良くなってすいすい進めた。実家に変えると兄夫婦もいたが、時間も遅いので早々に支度をして就寝。姪っ子達がでかくなっていた。
8/9(Tue)
先日は自分の論文の査読の話だったが、今日の午前中は頼まれた論文の査読を終わらせた。明日からつくばを離れるの予定なので、何とかそれまでに終わらせた形。
8/8(Mon)
夏季休暇。六本木にあるテレ朝規格のドラエモン展に家族でいく。整理券をもらって4時間待って500円払って入場したら5分くらいで出てきた。正確にはルートが決まっており、後から人がどんどん来るために5分くらいで自然に外にでるシステムになっている。凄まじい利益率だ。その後は、とある理由で職場に行って少し仕事。帰る時に、以前から出していた論文がようやく査読に入ったという連絡がきた。投稿してから27日目。凄まじく待たされたが、査読に入って良かった。
8/5(Fri)
圧倒間の一週間だ。今日はジクロロメタンとエタノールの吸収スペクトルを測定してみた。なるほどふむふむ。エタノールの近赤外領域はほぼ絶望的だ。スペクトルをメモのコーナーにアップした。今度は他の溶媒も測定してみよう。
7/31(San)-8/1(Mon)
8/1に午前休を取って、7/31~8/1と石岡市のつくばねオートキャンプ場に一泊二日でキャンプをした。テントと敷パッド、敷毛布は子ども同級生の家族に借りた。午後2時頃について、外の天気は曇り。予想だと雨になるらしい。受付で代金を支払って、一緒にタープをレンタルする。タープは食事をする時に屋根として必要だと思っていたが、結果的には日差し避けとして必須だった。フリースペースの場所に移動すると、既に3家族がテントを張っていた。敷地はあまり広くなく、テントとタープを張れば7~8セットで一杯ぐらいのスペースしかない。風が強いので、タープが風よけとなる方向に場所を決めて、設営を開始する。と、その前にまずは寝床であるテントを張る。テントは一度予行練習をしていたのですんなりできる。あまりに風が強いのでテントが勝手に移動する。取り柄ず、総合的な場所を決めるまで、中に荷物を重しとしていれておく。タープは片側をマニュアル通りに羽が45°近くになるようにはる。この時に、風で飛んでいかないようにペグを地中ぎりぎりまでハンバーで差し込んだおかげで、後で取り出す時に大変くろうする。タープもテントも移動する可能性を考えて、始めは仮止めするのがいいだろう。テントの一部をタープの中にいれるようにして、タープの反対側を開くようにして固定。こうすればタープとテントの間がシームレスで移動できると考えた。しかしこれは良くあるアイデアのようで、後で散歩で他のテントを見に行ったら同じようなことをしている家族がいた。さて、タープを固定して、テントの位置を決めた段階で、テント上に張るタープをつけていなかったことに目を向ける。別にいらないかと思っていたのだが、テントの中が日差しのもれによって予想以上に暑くなったで、適当にテントタープをテント上に敷いて固定する。しかし、後でテントタープはとても大事な役割があることを身をもって学ぶことになる。取り敢えず、陣地の設営が終わったので、トライアルで購入したキャンプ用の安いテープと家族用のいすを組み立て、ワイルドワンで昨年の購入しておいたスノーピークの高い焚き火台とグリル台をセットする。グリル台の上にはトライアルで購入した安い網を乗せて、グリル台と網をアルミホイルで適当につくった紐でに箇所固定する。焚き火台の中はアルミホイルで二重にした敷物を乗せ、その上に昨年度に公園で集めた桜の落ち技を細いものを中心にセットしていく。桜の木の大きいものは、ハンドノコギリで切って小さくしておく。ちなみに、焚き火をするのはこれで二回目になるが、焚き火の基本的なことは後ほど実感することになる。ここまで準備できて16時15分くらいだった。夕飯には少し早いので、施設を少し散歩する。施設には、電源がありくるまが直接テント横に停められるように場所もある。これは便利だが、フリースペースより3000円ほど高くなる。アスレチックもあるとのことだったが、3種類しかなくそれほど遊べない。筑波山の中腹にあるので、遠くはそれなりに見えるが、中途半端な景色しかみれない。16時45分くらいになったらすることもなく飽きてきたので、火の用意をする。トライアルで購入した着火剤に小型バーナーで火をつけて、焚き火台の中に放り込む。小さな木の枝から火が移り、炎とともに煙が出てくる。この時、すでに水をいれたやかんに火をかけて、娘が食べたいと言って買ったカップめん用の水を沸かし始める。また、バーベキュー用の金属くしにウィンナーを刺して、一緒に焼き始める。網に置いてもなかなか焼けず、気が短いので薪に近い床で直接焼くことにする。焼けたウィンナーは直接食べたり、フランスパンにはさんだりしてとても上手い。厚手のベーコンも買って、塩コショウをかけたのも焼いて食べたが、こちらはしょっぱいのとぼそぼそしてていまいちだった。もっといまいちなのは野菜。キャベツは表面が焦げてもなかの青臭さが抜けず、ナスもベストではなかった。正直な感想を言えば、バーベキューで焼く野菜は玉ねぎだったりトウモロコシなど、選別した方が良い。そして、タレは家でわずかに余っていた生姜焼きのタレでなく、焼肉のタレか醤油を用意した方がいい。ただし、タレが余ってしまい夏場で痛むのが心配であれば、塩コショウで十分に思う。娘はチーズが好きなので、買ったチーズをパンにはさんでも食べる。子どもはたいして食べないので、食事はこれくらいにして、デザートでマシュマロをくしに刺して焼いて食べる。正直これはいまいちだった。ちなみに、トマトもアルミホイルに包んで焼きトマトにして食べたが、これは普通においしかった。食事の後は、大人は片づけをして、19時半くらいにはもうテントに入って寝る支度をする。トイレは十分きれいだった。家族一列になって寝始めるが、流石に皆はじめてのテントのせいか寝つきが悪い。子どもは寝ながらテントをぐるぐる移動。そうしながらも、何とか寝てくれた後は、大人も寝始める。今日は都知事の選挙に日だ。そういうしているうちに雨が降り出してくる。予報通りの雨だ。初めはぽつぽつだったが、そのうちテントを叩く雨音が強くなってくる。普通のタープも(適当ながら)テントタープも張ったし大丈夫だろうと思っていたら、嫁がテントの一部が濡れていると言い出す。外に出てみると、二つのタープの間に雨があたり、それがテントに染み出していた。雨の中、急いでテントをよりタープの中に移動したり、テントタープをかけ直したりするが、すでにペグで張っているのでたいして対処ができない。ある程度移動して、諦めてテントに入って寝ることにする。嫁が先に寝る。自分も雨音を聞きながらうつらうつらしているが、そのうちのテントの中が冷えてくることに気付く。寒いと言い出す者もあらわれる。もってきた毛布を横にして皆に掛けるが、寒いと感じる人と新陳代謝の違いで暑いと感じるのか毛布をはぐる人もおり、どうにか適度な状態にしてから自分も疲れたように眠る。夜中に何度か起きる。朝になる。一人外に出てみると、昨日より晴れている。一日が終わった。朝食を買ってなかったので、早々にテントを片付けて、帰ることにした。
帰りはコンビニで朝食かって食べて。帰宅。子どもに感想を聞いたら、外で食事をしたのが楽しかったとのことだった。これはキャンプしなくてもできるな。焚き火のこつだが、薪に火をつけて炭になるまでは黒い煙が出て、色々汚れてしまう。なので、初めに薪を系統的にセットしてから火を入れ、火が落ち着いて来たらグリル台をセットして食べ物を焼き始めるのが良いと思う。こうすれば、煙に交じった炭が食べ物につくのを避けられるのではないだろうか。それと、途中で薪をしなくて済むので手も余るようになる。あと、次回は軍手を持って行こう。テントとタープを張る時は怪我をしないように。
7/28(Tue)
横浜の古巣の研究室から、後輩学生と恩師が来所して試料の測定。流石に合成をしているだけあって、バンバン試料を持ってこられる。単結晶の過渡発光で、多形が変わったときの時定数変化はどうなるかがテーマ。色々測定しすぎて、すぐに解析してもどれがどれだか自分には分からないので、後で結果を聞くことにする。そして、夜は自分の人生に影響しうる連絡が来た。大変ありがたいし、勉強になった。
7/22(Sun)
ども用に借りた○ラエモンのDVDを返して、まだ見ていないDVDを探していたら、よその知らない双子におんぶをせがまれておんぶしてあげた。また、外を歩いていたら、寄ってきた子犬に顔をなめられて、そのまま帰りについてこられそうになった。子どもと犬に良く好かれる。
7/20(Wed)
実験終了。毎回あるテーマだけは急場しのぎで実験する。でも、ようやく一つめどがつきそうな結果がでた。こ、これで学会発表ができる。
7/19(Tue)
実験。
7/18(Mon)
ホームパーティーに呼ばれて参加。大人7人、子ども11人。子どもにとっては、遊んでくれる大人が正義。可愛くてつい顔も緩んでしまう。
7/15(Fri)
来月の学会用の実験準備。一つのテーマはいつも急場しのぎだ。
7/13(Wed)
とある業者に来て頂いて、ある実験のデモをしてもらった。うまく行けば装置の購入を検討したいのだが、測定に重要なあるものがなかった。でもものは試しということでデモをしてみたが、反応がない。重要なものは必須のものだった。色々勉強になった。業者の方にはまた日を改めてきてもらう予定。専門からどんどん外れた方向に研究が進んで行く。
7/12(Tue)
投稿から13日目にしてエディターからリジェクトのメールがくる。いちをトライしてみようということでのさらにハイインパクトな雑誌だったが、やはりだめだった。過去に一番の長いメッセージが送られてきたので、論文を良く精査してくれたのだろう。そのためか、ややランクが落ちる姉妹誌への投稿を推薦されて、確かにエディターによって推薦されている旨がお勧めの雑誌の転送欄に書いてある。これは、一番目の別の姉妹誌の時にはないことなので、今回は前回よりややもっと評価してくれたのだろう。論文の変更はなしにして、あらたにエディターにレターを書いて、進めらえた姉妹誌に再投稿した。これが吉と出ると凶とでるかは、また10日ぐらい待ってみないと分からないかもしれない。とにかく、エディターリジェクトまでに時間がかかる。
7/7(Thu)
つくばで行われた山中伸弥先生の講演会を聞きにいった。Youtubeにupされている2010年京都賞受賞記念講演会の話が7割ぐらいだったと思うが、先生の人柄が溢れた笑いあり感動ありの講演会だった。先生が医者を志そうと思ったきっかけはドラマチックというか、やはり強い意志のある人は何かの出来事に心動かされているのかもしれないと思わされた。最後の方は、いかに研究者の世界の人材の確保が難しいかを切々と述べられた。アメリカのファンドレイジング(Fundraising)の話を引き合いに、一般市民からの寄付の重要性を説かれていた。iPS細胞研究所は9割が非正規職員で、そして全ての人を雇うだけでも年間5億ぐらいかかるとのこと。競争、淘汰が必然の世界とはいえ、非正規職員もvisionが立てられるように、ある程度落ち着いて仕事ができる環境を作ることも今の日本では重要だと良く思う。有名な話だけど、山中伸弥先生は寄付を集めるためにマラソンを走り続けている。最後に、一つの方法として聴衆を笑いに巻き込んだのが寄付のフリーダイアルだった。0120-80(走れ)-87(山中)48(伸弥))とのこと。山中先生が活動を続けて行けば、日本人の科学を支援する気持ちも少しずつ変わるかもしれない。ちなみに、今回の講演を聞いていて、2009年のリンダウミーティングで出会った山中研の博士課程の学生を思い出した。人のポッケから財布を(いたずらで)盗もうとする元気いっぱいの悪ガキという感じだったけど、彼もヤマナカイズムを継承して、どこかで研究を頑張っているかもしれない、とふと思った。で、検索してみたら今はスタンフォード大にいるとのことだった。
7/5(Tue)
Hotな分野においてどうやって孤軍奮闘するか、情報を集めるすべをまずは真剣に考えないと競争に勝てない、と思わされた日だった。関連する異分野の人達と組まないと海外に先を越されるのはポスドク時に散々見てきたのに、国内に帰ってきたらそれがなかなかできない。閉塞感が日本にはあると思う。いや、閉じているは自分なのかもしれない。もっとアクティブに動かなければ。
7/2(Sat)
前日は飲みに行ったのだが、久々に帰ってからひどい目にあった。お酒を飲みながらタバコの副流煙を吸うとだいたい悪酔いする。
7/1(Fri)
論文がエディターにアサインされた。週末なので、返事がくるのは早くても来週だろう。ゲスの極み乙女の曲を聴いてみたが、一時期世間を騒がしたバンドだが、才能はあると思った。